

新宿売店を四谷区新宿一丁目61番地(現新宿区新宿一丁日3番6号)に開設した。新宿売店では、座売形式を廃止してカウンターを置き、洋品・雑貨・菓子・缶詰等を中心に販売した。
1933年9月15日、新宿店が完成。25日に、日暮里本行寺の初代丹治の墓前で報告式を行なった後、来賓や長年の顧客を招待して祝賀晩餐会を開催。一般営業日初日の28日は、入店制限を行なうほど混雑し、「開店当日の入場者は実に13万人と算せられた」(『経済市場』同年11月号)。新宿の新百貨店は連日満員の盛況となり、神田店は9月11日を最後に閉店、10月には本店を神田から新宿に移した。
この当時の既製服には子供服と婦人服しかなく、13歳~17歳の年代層にふさわしい既製服はほとんど無い状態であった。伊勢丹では、アメリカの服飾業界ではこの年代層をティーンエイジャーと呼ぶことに着目し、1956年の夏休みに合わせて本館2階の売場でティーンエイジャー向けのテスト販売を開始。商品の開発が進むにつれ、ティーンエイジャーショップは当社の代表的売場のひとつとして定着した。
メリーチョコレートとのコラボレーションで日本初のバレンタインプロモーションを3日間開催した。
日本では女性から男性へ贈る習慣ができる。
当時、専用のパーキングビルを併設している店舗は皆無で、その後追随する同業店も現れたが、伊勢丹のランプ式駐車場は、他と比較しても駐車しやすい施設として好評だった。
本店北側にあった新宿丸物の閉店にあたり、新館の建設を開始。新館のコンセプトは、三代丹治の発案で「男の新館」と決まる。その背景には、男性がファッションに関心を持ち始め、新宿もヤングとファッションの街としての性格を強めていたことがあげられる。男のデパートは、日本はもちろん、アジアでも初の試みで評判となった。
当時、女性の変身願望や大人になりたくない子供たちが「シンデレラシンドローム」「ピーターパンシンドローム」などひとつの社会現象となっていた。これとスケールの大きなシティ感覚あふれる“街” を1フロアに出現させてみたいという発想とが合体して「シンデレラシティ」が本館2階に誕生。ピュアヤングの女性を対象とするファッションとカルチャータウンとして、新規6ブランド19のDCブランドのショップなどから構成された。
企業スローガン「毎日が、あたらしい。ファッションの伊勢丹」に基づく取組みのひとつとして、本店でスタートした「解放区」は、ニュークリエイターのコレクションを集めて展開する情報発信スペース。シーズンごとにデザイナーを入れ替え、新鋭デザイナーのインキュベーターとしてファッション業界にインパクトを与えた。
婦人を本館4階に拡大し、ファッション感度の高いお客さまに向けた<リ・スタイル>をオープン。
世界の新作“ショコラ”を日本国内で最も早く紹介する『ショコラ・モード』がスタート。パリ発、チョコレートの祭典『サロン・デュ・ショコラ』を2003年1月から日本で開催するなど、「ファッション」としての食の提案を続けている。“ショコラ”を通して楽しむ時間や空間の演出など文化的な提案にも挑戦している。
「男の新館」が1968年の誕生以来、35年ぶりの全館リモデルを行なった。新宿出店70周年を迎え、呼称も「男の新館」から「メンズ館」と改め、男のこだわりに加え、世界最高レベルのファッションにも力を入れている。こだわりを持つ男性のお客さまが自ら来店され、お買物を楽しんでいただける店を目指した。
本館屋上「アイ・ガーデン」は、おもてなし(都会の喧騒の中のアーバンオアシス)・環境(地球・都市環境への配慮、社会への貢献)・安全(お客さまにとって安心な場の提供・バリアフリーへの配慮)の3つのコンセプトをもとに、時代を映す老舗百貨店の屋上庭園としてリニューアル整備が行われた。
「世界最高のファッションミュージアム」の実現を目指し、婦人フロア・婦人雑貨フロアリモデルグランドオープン。
そして2023年、伊勢丹新宿店は新宿出店90周年を迎えます。10年後の100周年、そしてさらにその先の未来に向けて、新宿のまちとともに、挑戦とアップデートを続け、人びとの暮らしを豊かにすることを目指します。
※画像は一部イメージです。
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