人間国宝を訪ねて⑱
前田 昭博 陶芸/白磁

人間国宝とは、重要無形文化財保持者のこと
鳥取空港から車で30分ほど。山あいの村にポツンとある前田昭博の窯を訪ねる。小雨降
る寒い日だった。重く立ち込める雲が、グレーのグラデーションで幾層にも重なる。
窯の名は「やなせ窯」。名付け親は東大寺長老だった清水公照師。近くの山の名からとっ
たものだ。窓から差し込む淡く鈍い光が、制作途中(取材当時)の白い壺に微妙な陰影を含
ませる。この淡い光こそが、前田の創作意欲を刺激するツボだったのである。
一般的に磁器というと、冷たく硬質な世界をイメージするが、前田の作品には、緊張感はありながらも、ふくよかで柔らか、温かみのある表現がなされている。あたりの空気をふっと和ませるようなやさしさに満ちている。
ゆえに、前田は自らの作品を「白磁」ではなく「白瓷(はくじ)」と表す。「瓷器」は磁器のみならず、もう少し幅広い意味を持つとか。
「瓷は本来、土を焼いて作る陶器に当てる文字で、(中略)でも僕は陶器のような温もりのある磁器を作りたい。そんな思いを籠めて瓷を使っています」
(高井有一著『夢か現実か』)

「好きだから、どうしようもないんです」。前田と白磁の出会い。これはもう、運命とし
か言いようがない。そして今日まで38年間、たった一人で「白瓷」に挑み続けてきた。
大学では陶芸を専攻。陶芸家になろうというのではなく、漠然と美術の仕事につきたいと
選んだ大学だった。陶芸といっても「陶器」の授業のみ。磁器ではなかったのだが、ある
とき、講師の白磁の制作現場を見て衝撃を受ける。
それまで、真っ白な作品を日常で見たことがなかった。もちろん、型押しの大量生産の磁
器は知っていたが、手で作る重厚な白磁に触れたのは初めてだったのである。
子供の頃、父が夜な夜な創作していた木版画のモノトーンの世界、雪をかぶった木々の白
い情景と重なった。以来、白磁に強い憧れを抱くようになる。このとき、前田は白磁の神
様に見そめられたのかもしれない。
卒業間近になった頃、日に日に上達するろくろがおもしろくて仕方なくなってきた。そん
なとき、かの講師が前田に「人生は短い。好きなことをやったほうがいいよ」と囁いた。
「好きなことをやって飢え死にした人はいない。もしも、君が飢え死にしたら、記念すべ
き第1号になるのでは」と。

右/白瓷壺
その言葉に、気持ちが軽くなった。この講師との出会いも、白磁の神様のはからいだろ
う。安定した道を選ぶより、どうなるかわからないが白磁を選ぼう。そう決意して、実家
のある鳥取に戻った。
しかし、早速、試練は訪れる。なにしろ、すべて独学。無手勝流である。失敗ばかりが続
く。日本で磁器が誕生して今年で400年(取材当時)。有田など産地には、そのノウハウが
しっかりあってムダがないが、自分はムダだらけ。どう考えも分が悪い。
大学でちょっと習ったぐらいの技術や少々の情熱ではどうにもならない。やっぱり鳥取は
陶芸するには最悪の場所だった、と鳥取をうらんだこともあった。しないでもいい苦労を
してきたようにも思う。でも試行錯誤を繰り返す中で、自分なりの発見、土から教わるこ
とが多々あった。
今、思う。鳥取でよかった、と。これが有田だったら、技術の習得もスムーズだし、情報
もどんどん入っただろう。でも「僕らしい、個性的なものにはならなかったと思うんで
す」。今では、鳥取で創作することが快適である。ここだからこそできることがあるから
だ。
「土が僕を変えてくれたんですね」。たくさん失敗をしたけれど、それが自分の創作を掘
り下げるきっかけになり、さらに駆り立ててくれた。そして何より、山陰ならではの自然
の色彩、自然の造形……。この環境が、創作には必要不可欠なことだった。

中/たった一人の工房「やなせ窯」でろくろをひく。
右/鉛筆の下書きに沿って4つの面の「面取り」をする。
「我々作家にとって一番大事なことは、どういう表現をするか。それが問われていると思
います」。そして、それを実現するための技術。その両方がないと作品にはならない。
失敗と修正を重ねながらも年に1回は個展を開き、陶芸や工芸のコンクールに出すことを
自分に課してきた。「精一杯作っていました。直線的に作家活動を続けていた。何とかモ
ノになるようになったのは14年経った頃です」。
大学を卒業して14年目。36歳のときに、第11回日本陶芸展で大賞に次ぐ優秀賞を獲得す
る。「もうそろそろ無理なのでは、と思っている時期でした」。ひょっとしたら、一生続
けられるかも。そう思えた。作家として水面上に出られたのは、そこからだという。

右/大小さまざまの作品。これから釉薬をかけ、焼成する。
独特の「白瓷」作りは、土をこね、ろくろを回すところから始まる。「ろくろで成形する
と、円筒形というか、円になる。それを変形させて個性的な形に持ち込みたいんです
ね」。ろくろでは個性的な形は作れない。だが、内側から外側に向けて、柔らかなふくら
みを出すことができる。
土がちょうどよい固さに乾いたところで「面取り」の作業に入る。親指で指圧のように押
していくのだが、ろくろで作ったふくらみの力強さを残すところと、指で押さえたとこ
ろ、その両方を一つの面の中にもたせるよう、確かめながら進める。
最初は板で叩いたりしていたのだが、乾くときにヒビが出たり、キズができた。それが、
指だとうまくいく。「これは、土の粒子を内側に押さえて、締めてるんです」。
完成した作品の表面は、滑らかでつるんとしているが、そこには点描のように、数え切れ
ないほどの指の跡が隠されている。内包するエネルギーの力よ。その“見えない”指の跡が
光を受け、光とコラボすることで、デリケートで多彩な表情を見せてくれるのである。

中/道具の置き方にも美意識を感じる。
右/こんな風に、様子を見つつ、親指で押していく。
さらに「削り」の作業。一旦、乾燥させてから、磁器用のカンナで、指跡を消しながら滑
らかにしていく。「これはある種、彫刻的な作業ですね」。作品のフォルムが、骨格が見
えてきた。最後はペーパーや薄いステンレスの刃で仕上げる。
造形とともに重要なのが、肌の調子だ。「山陰の曇り空のようなしっとりした、温かみの
ある肌合い」に焼成する。釉薬も、試験に試験を重ね、独自の色みを作り出した。
前田の作品は「影によって命を吹き込まれる感じ」である。光によってもたらされる影。
それが、作品の存在感を際立たせる。光によって表情を変えるから、家に持って帰ると、
また違った顔を見せてくれる。
「創造に対して、見る人が想像して楽しんでいただける」。そのまま、現代アートとし
て、あるいは彫刻作品としても楽しめるし、器にしたり花瓶にしたりして「使って」もい
い。作品名には「壺」「鉢」などとしか書いていないが、オブジェではないので、使える
のも大きな魅力という。
色や模様を控えた白だけの世界。「形を見てほしい。そして、形の中で楽しんでいただ
く、それが白瓷です。作品を心で感じ、会話をしてほしい」。

中/手水鉢をはじめ、工房で見るものはすべてが美しい。
右/土を練り、ろくろをひく。
白磁は日本人の美意識に近いという。日本人ならではの感覚、たとえば、間合いだった
り、余白の美であったり、言わずもがなのことだったり……。そういう感覚がわかる日本
人だからこそ作れる白磁。文様を入れる隙がない作品、それが白磁である。
前田は今、シンプル&モダンをさらに突き詰め、もっと削ぎ落とした作品に挑戦中である
(取材当時)。「筒」だ。形のふくよかさが創作の一番のポイントだったのだが、ホントに
何もない筒であっても「自分がそこにいる」という作品を作ろうというのだ。
「最初、作っていたら、どこかにふくらみを持たせようとする自分に気付いたんです」。
そこで、さらにストイックに、ふくらみへの甘えを取っていった。
「微妙な抑揚の中に、自分らしさ、前田らしいといってもらえる作品を作る。それが僕の
目指す仕事だし、絵も色も形まで削いでいき、それで心地よい魅力が出てくれば、それが
僕の目指す白瓷の世界だと思う」
今はあえて、そういうものを求めていくときだという。どこまで簡素に身軽になれるの
か。そうすることで、普遍性を持ったもの、どんなに時代が変わろうと、いつ見てもモダ
ンなものになる。そして、真っ白だけど「あの人の作品」といわれる、骨格の強いものを
作りたい。
前田の白瓷は、新たな次元に突入している。
前田 昭博(まえた・あきひろ)
1954年鳥取県生まれ。大阪芸術大学工芸学科陶芸専攻卒業後、実家に戻り、白磁と向き
合う日々が始まる。1983年第30回日本伝統工芸展入選(以後26回入選)、以降、国内外の
展示会で多くの賞を受賞。2007年紫綬褒章受章。2013年「白磁」の重要無形文化財保
持者に認定される。
photographs Naruyasu Nabeshima
text Michiko Watanabe
お帳場通信 2016 春号 掲載