人間国宝を訪ねて⑲
山下 義人 蒟醤/漆芸

人間国宝を訪ねて⑲ 山下 義人 蒟醤/漆芸のメインビジュアル

人間国宝とは、重要無形文化財保持者のこと

蒟醤と書いて「きんま」と読む。この字を見るたびに、コンニャクを思い出すと伝える
と、「蒟蒻と醤油なんですよ」と、山下義人。ホントだ、その通りだ。不思議なネーミン
グである。

「そもそも語源は、ミャンマーなどで人気の、噛みタバコ(檳榔・びんろう)からきたも
の」。タイでは噛みタバコを噛むことをキンマークといい、それを漆の器に入れていたそ
う。日本には室町時代に入ってきたものといわれるが、その際に、その器がキンマと呼ば
れるようになり、蒟醤という漢字が当てられたと考えられている。

香川へは、玉楮象谷(たまかじぞうこく)によって江戸末期にもたらされた。象谷は京都あ
たりで、タイやミャンマーから渡来した蒟醤を見たのであろう。当時は蒔絵全盛。むし
ろ、技巧に走りすぎた時代だったが、蒟醤は蒔絵とはまったく異なるものだった。

仕事場での山下さんの画像
仕事場での山下。

「彫って埋める、という非常に単純な技法です。道路工事でアスファルトを埋め込むと、
明らかに色が違うでしょ。あれと同じ、といえばわかりやすいでしょうか」。何回も漆を
塗り重ねた面にケンと呼ばれる彫刻刀で文様を彫り、くぼんだ部分に色漆を埋めて、研ぎ
出したものである。

象谷は香川に帰って試行錯誤を繰り返し、その漆芸技法を編み出した。それが進化を遂げ
ながら、今日に至っている。香川では、現在、磯井正美、太田儔(ひとし)、そして山下と
三人が重要無形文化財「蒟醤」保持者(人間国宝)に認定されているが(取材当時)、ひとつ
の技法、ひとつの県で3人も認定されているのは非常に珍しいことだ。

蒟醤菓子器と蒟醬箱の画像
左/蒟醤菓子器「回廊」径24×高さ6.5cm
右/蒟醬箱「山滴る」幅26×奥行13×高さ13.5cm

山下は、漆工芸とは無縁の農家の息子である。モノをつくるのは好きで、子供の頃は大工
に憧れていたそうだ。高校進学に際し、担任の先生から漆の道へ進むことを勧められ、工
芸高校へ入学する。

公立の工芸高校は全国で8校。香川県立高松工芸高等学校は、香川漆器の伝承を主な目的
に設立された学校だ。漆といえば、お椀や仏壇しか思い浮かばなかったような少年が、学
ぶにつれ、だんだんとその魅力にとりつかれていく。

さらに、全国で輪島と高松の2カ所にしかない後継者養成施設のひとつである香川県漆芸
研究所で、蒟醤をはじめとする漆芸技法を幅広く習得したのち、磯井正美に師事する。

山下が磯井の人柄に触れた文章がある。「先生は、当時から『非まじめ』を実践しておら
れ、現在に至っている。ものごとをさまざまな角度から見ることができるのが非まじめの
極意である」。

不まじめではなく、非まじめ。たとえるなら、皆で歩いていて、何かを見つけてはふ
っと列から離れ、寄り道。でもすぐに戻ってきて「あそこにこんなのがあったよ」と、目
を輝かせながら話して皆を喜ばせる。しばらく歩くとまた寄り道。でも、最後は皆と一緒
にゴールする。そういうのが非まじめなんだという。

「変わった人でね。でも、ご自分が変わってるなんて、ちっとも思っていない。異質だか
らこそ魅力的で、ますます憧れました」

煌めく蒟醤箱と蒟醬丸箱の画像
左/煌めく蒟醤箱 幅26×奥行13×高さ13cm
右/蒟醬丸箱「炎」径32×高さ8cm

その後、展覧会で、後に師となる蒔絵の人間国宝、故・田口善国の作品「水鏡蒔絵水指」
に出合って衝撃を受ける。漆でこんな世界も表現できるのか。漆ってすごい。その作品に
後押しされて、上京して田口の指導を受ける。

「宿命とまではいわずとも、師匠との出会いは大事。その教えは偉大です。若い人たちに
よくいうんです。師匠だけは選べよ、と。師匠を選ぶ時点では、志だけがあって無垢でし
ょう。真っ白。それを染めてくれるのが師匠なんです」

常に自分を追い込んで、崖っぷちに立ってモノをつくる。その姿勢を、美学を、両師匠か
ら学んだ。

「作品はその人のすべてなんです。自分の中にないものは生まれてこない。もしも違うも
のが出てきたら、それは何かの真似なんです。私の座右の銘というべきものが『自分の真
似はしない』ということ。創作というのは、常に上を見ていくものです。作品ができあが
った時点で、自分はもう成長している。だから、またその上を見ていく。おそらく上を見
続けて、死ぬまでに納得できる作品はできないと思っています」

仕事場の一角と道具の画像
左/仕事場の一角。道具がびっしり。
中/上塗り用の漆刷毛。
右/「ケン」と呼ばれる特殊な彫刻刀。

山下は伝統工芸展で受賞するまでに十数年もの時間を要した。若い頃は、どうしても技術
が先行しがちである。技術を頼みとし、持てる力のすべてを注ぎ込む。すると、知らず知
らずのうちに、いやらしい気持ちが入ってくる。邪心が露呈してしまうのである。

今まで4度も受賞しているが、そのどれもが、自分では出来がよくないと思ったものばか
り。「すべてを語るのではなく、一歩引く。そのほうが語る力ははるかに大きいと気づく
んですね。完璧でないところに魅力があるんだ。この年になって答えが出ました」。結
局、大事なのは技術ではなく、人間力なのだ。その人間力の構築に時間が必要だった。

かつて、香川は漆大国だった。輪島や会津の漆器が日常使いの什器中心につくられていた
のと異なり、香川の漆器は松平のお殿さまが茶道具や調度品をつくらせたところから発展
したものだ。お茶も盛んな土地柄ゆえ、需要は多かった。ところが近年は、全国的な漆離
れに加え、職人たちの老齢化も相まって、危機的状況だという。

「漆はジャパンと呼ばれる日本を代表する工芸です。相撲が国技であるように、漆も国技
だと思っています。みなさん、経済力はあるはずですが、漆器は使いにくいという思い込
みを持たれているんでしょうね」

蒟醤盤「薬研」と白蓮蒟醤水指の画像
左/蒟醤盤「薬研」幅39×奥行35×高さ3.5cm
右/白蓮蒟醤水指 径21×高さ19cm

これから漆の世界がどうなるのか、将来を憂う状況だ。でもこれは、国を挙げて取り組む
べき課題ではないのか。山下は、香川県漆芸研究所や石川県立輪島漆芸技術研修所で後進
の指導にあたりながら、飯碗でご飯を食べることを子供たちに推奨したり、普及にも努め
ている。

「漆の塗膜は塩酸、硫酸、硝酸をかけてもなんともないくらい強い。食器洗剤で洗っても
大丈夫なんです」。しまいこんである漆器を出してみたくなる。

山下の作品は、ごくありふれた日常から生まれる。毎朝、愛犬と散歩する道端で、庭で焚
き火をするときに、あるいは、何気ない妻との語らいから、ときには栗林公園の蓮池で、
と、人として普通に生きる日々から山下はインスピレーションを受ける。穏やかな日常の
中に、身近に感じる自然の中にテーマはある。

山下さんと漆を油桐の木炭で研いてる画像
左/創作と啓蒙を重ねながら漆の伝統を未来へとつなぐ。
中/漆は油桐の木炭で丹念に研ぐ。
右/研ぎ炭。

「炎」という作品は、大好きな焚き火を観察して生まれた作品だ。じっと見ていると不思
議な感覚におそわれる。ゆらりと炎がゆらめいているように感じるのだ。決してワイルド
ではない。人に近い、繊細で温かい炎。ある人には、情熱的な炎に見えるかもしれない。

見る者によって紡がれる内容は異なりそうだが、山下の作品には、一つひとつ物語が秘め
られているように思う。これが山下のいう「一歩引く」効果かもしれない。

つくり手と鑑賞者が歩み寄って、残りの一歩を埋め合うような。見る側の思いのピース
が、その一歩にはまって初めて作品が完成を見るような……。心がポッと温まってくる作
品だ。

山下 義人(やました・よしと)
1951年香川県高松市生まれ。磯井正美より蒟醤、故・田口善国より蒔絵を学ぶ。日本伝
統工芸展を中心に作品を発表し数々の賞を受賞。2007年紫綬褒章受章。2013年重要無
形文化財「蒟醤」保持者に認定。香川県漆芸研究所と石川県立輪島漆芸技術研修所で後進
の指導育成に尽力。

photographs Ryo Shirai
text Michiko Watanabe
お帳場通信 2019-20 秋冬号 掲載