三越伊勢丹 名画版画コレクション Vol.10
横山大観「霊峰春色」彩美版®美術複製画

三越伊勢丹 名画版画コレクション Vol.10 横山大観「霊峰春色」彩美版®美術複製画

激動の昭和の時代に近代日本画壇を牽引し、日本の魂を描いた巨匠・横山大観氏(1868-1958)の代表作のひとつ「霊峰春色」彩美版®美術複製画作品をご紹介いたします。

横山大観「霊峰春色」彩美版®美術複製画

横山大観「霊峰春色」彩美版®美術複製画
技法:彩美版®、シルクスクリーン併用
制作数:200部
イメージサイズ:約 50×65cm
額サイズ:約 71×86cm
価格:275,000円

横山大観「霊峰春色」 
解説文:公益財団法人 桑山清山会 桑山美術館

本作の制作年代は厳密には特定できないが、落款(らっかん)は昭和15~22年頃の作品に見られる「抜け落款」といわれる書体であり、70歳を超えたにも関わらず画技も気力も高揚した時期にあたる。

本作においても富士そのものは真景に基づくが、雲煙の彼方に頭頂部を現し手前に桜を配する構図は実際の風景とは異なり、富士と桜を配することで戦時下における国威高揚を示す時代背景に加え、大観独特の気品や情緒といった精神的な象徴性が画面に表れている。かつて取り組んだ朦朧体では色彩を主体とする没骨描法を試みたが、油彩画と異なり日本画の顔料はマチエール(絵肌)が弱く、水彩画のような味わいの表現力の弱さが克服できなかった。
後年その経験を踏まえ、墨と色彩を等価におき墨を色彩として取り入れており、本作でも雪を頂く霊峰は胡粉と墨彩でくっきり描かれ、富士の白肌が雲煙の中で清浄に輝きわたっている。

色彩のコントラストにより富士の崇高なさまを表現するとともに、雲煙は幽玄な雰囲気を醸し出し、山桜の薄紅色が画面に華やかさを添えている。
(付属解説文より抜粋)

横山大観「霊峰春色」

横山大観「霊峰春色」

彩美版®とは
「彩美版®」は共同印刷株式会社の登録商標です。長年の経験により培われた画像処理技術を元に、厳選された素材に高精度デジタルプリントを施し、画材の質感と豊かな色調を再現した共同印刷の美術複製画です。
一枚一枚に職人によるシルクスクリーンを施し豊かな色彩や筆遣いといった原画の持つ鼓動までも表現しています。
半世紀以上にわたり複製美術品の制作を続ける共同印刷の「彩美版®」は、業界屈指のブランドとして、多くの美術愛好家に支持されており、美術関係者からも高い評価を得ています。

額裏面には、限定番号と監修者の承認印が押された奥付シールが貼付されます。

原画所蔵美術館のご案内

公益財団法人 桑山清山会 桑山美術館(KUWAYAMA ART MUSEUM)
所在地 〒466-0828 名古屋市昭和区山中町2-12
電話 052-763-5188
詳細はホームページ等にてご確認ください。

関連美術館のご案内

公益財団法人 横山大観記念館(YokoyamaTaikan Memorial Hall)
横山大観の「私の死後この地を個人財産としてでなく、公的な財産として日本美術界のために役立ててほしい」との意思にもとづき、昭和51年より大観邸を財団法人横山大観記念館として公開しています。大観がこの地に住み始めたのは明治41年のことです。昭和20年の空襲で、大正8年に建築した家は焼失しましたが、その土台を生かし、昭和29年に新居を再建し、89歳まで没するまで、大観はここで多くの作品を制作しました。

公益財団法人 横山大観記念館(YokoyamaTaikan Memorial Hall)
所在地 〒110‐0008 東京都台東区池之端1-4-24
電話 03-3821-1017
詳細はホームページ等にてご確認ください。

横山大観「霊峰春色」彩美版®美術複製画 仕様体裁

横山大観「霊峰春色」彩美版®美術複製画

技法:彩美版®シルクスクリーン併用
制作数:200部
用紙:特製絹本
額縁:特製木製額金泥仕上げ、アクリル付き
イメージサイズ:約 50×65cm(15号大)
額サイズ:約 71×86cm
重さ:約 6.6㎏
監修:横山 隆氏(公益財団法人 横山大観記念館館長)
解説:公益財団法人 桑山清山会 桑山美術館
原画所蔵:公益財団法人 桑山清山会 桑山美術館
証明:額裏に監修者の承認印・限定番号付き証紙(奥付シール)を添付
※作品奥付シールの表記は、初版発行当時のものを使用しています

横山大観 Taikan Yokoyama(1868~1958年)

横山大観 Taikan Yokoyama(1868~1958年)

1868年 茨城県水戸市に生れる。本名秀麿。
1889年 東京美術学校に第一期生として入学。
1893年 東京美術学校を卒業。
1896年 東京美術学校図案科助教授となる。
1898年 美術学校騒動。校長岡倉天心らとともに辞職し「日本美術院」創立に参加。
1903年 菱田春草とインド外遊する。
1904年 天心、春草らと渡米。各地で作品を展覧。
1905年 米国より欧州に渡り、各国を回って帰国。
1906年 日本美術院、茨城県五浦に移転。春草・下村観山らとともに一家で移住。
1907年 第一回文展開催に際し、審査員を務める。
1909年 上野・池之端に新居を構える。
1913年 天心が逝去し、観山らと日本美術院再興を計画。
1914年 東京谷中に日本美術院を再興し、経営者・同人となる。再興第一回院展を開催。
1930年 ローマ日本美術院展開催。美術使節としてイタリアを訪問。
1931年 帝室技芸員となる。
1935年 改組帝国美術院会員となる。
1937年 帝国芸術院会員となり、第一回文化勲章受章。
1943年 この頃『霊峰春色』を制作。
1958年 逝去。正三位勲一等旭日大綬章を追贈される。享年89。

彩美版®美術複製画シリーズ

 

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