2022.1.8 UP
〈神田志乃多寿司〉志乃多のり巻き(8個入)918円
日本全国で愛されている稲荷寿司。その呼び方も全国様々で〈神田志乃多寿司〉の屋号“志乃多”も稲荷寿司の別称です。由来は、大阪和泉にある信太森(しのだもり)神社(葛葉稲荷神社)にあり。この神社、陰陽師・安倍晴明が白狐を母として生まれたという「葛葉伝説」の舞台です。歌舞伎、浄瑠璃の演目「白狐(葛葉姫)の子別れ」では「恋しくば たづねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」の和歌が有名。
江戸時代後半、天保の大飢饉が収束して世に平和に戻り、歓楽街では小腹が空いた人に向けて素手で簡単に食べられる軽食として、油揚げを袋形にして中に刻んだ椎茸、干瓢などをご飯と混ぜた「稲荷寿司」が屋台などで売られるようになりました。そもそもは、お稲荷さんに供えた油揚げのなかにごはんを詰めて寿司にしたのが始まりだったとか。
江戸時代に描かれた安藤広重の錦絵「浄る理町繁花の図」には、味付けした油揚げに味付けした豆腐がらを入れたものが「志乃多巻」として売られている様子が描かれています。
(絵の左上)
江戸時代のグルメ誌「守貞漫稿」には「天保末年、江戸にて油揚げの一方をさき袋型にして椎茸、干瓢を刻み交えたる飯納めて鮨として売る。稲荷鮨あるいは篠田鮨。ともに狐に因のある名前」の記述があります。天保末年は1844年2月〜1845年1月。〈志乃多寿司〉の創業は1902年(明治35年)ですから約半世紀後、江戸から明治に稲荷寿司人気は引き継がれ、その老舗としての地位を〈志乃多寿司〉は築いていきます。
〈神田志乃多寿司〉の稲荷寿司“志乃多”は、創業当時より甘味がまろやかでコクのある味わいを守り続けてきました。油揚げには、黒糖、中双糖ほか数種の砂糖、醤油、味醂を用いて、重層的な甘味旨味をしっかりゆっくり染み込ませています。
写真の油揚げは左から、煮る前、油抜き後、味付け後、そして一晩おいて再度煮込んだ完成品です。じわじわと味が染み込んでいる感じが写真の色の変化からも伺えます。
また、油揚げにしっかり甘味をつけているので、シャリ(ご飯)には砂糖を一切使いません。その味のメリハリやバランスも愛される理由の一つなのでしょう。ちなみに伊勢丹新宿店限定販売の「昔いなり」という稲荷寿司は、一枚一枚丁寧に手揚げされた油揚げを使用。他は油揚げ専門店に同社の規格を伝え、揚げています。
酢飯は赤酢と塩(あらしお)のみで調整。赤酢もまた全体にまろやかさを出す大事な調味料です。そして、食感のアクセントが蓮根です。甘酢でさっと煮た蓮根の爽やかな酸味とシャキシャキ感。こうした細かな塩梅が、稲荷寿司はたくさんあれど〈神田志乃多寿司〉独自の味を作り上げています。
そして江戸時代に稲荷寿司の具材の一つだった干瓢を、〈神田志乃多寿司〉ではのり巻きにしています。海苔は千葉県内房(江戸前)産、干瓢は主に栃木産、お米も含めて関東一円での材料調達できる、まさに江戸前です。干瓢の煮方も独特で、指で摘んで切れるくらいまで柔らかく茹で、一度鍋から出して水分を切った後、砂糖、醤油の煮汁をあらためて吸わせます。写真の右が干瓢の調理前、そして左が完成品です。
そして〈神田志乃多寿司〉といえば包装紙です。ビビッドな辛子色にギュッと心を掴まれるレトロで愛らしいデザインもファンが多いのです。
聞けば、包装紙の絵を描いた洋画家の鈴木信太郎氏も、中箱の蓋のデザイン画の作者、日本画家の谷内六郎氏も、〈神田志乃多寿司〉二代目 原田直翁さんのお知り合いというご関係だったとのこと。洋菓子?と思ってしまうハイカラな包装紙から稲荷寿司とのり巻きが現れるインパクトは、今やブランド力の一部のように思います。デザインの採用は戦後間もなくだったとのことで、明るい未来への願いなどが込められていたのでしょうか。眺めていると温かな気持ちになってきます。
あらためて〈神田志乃多寿司〉の理想とする味は何かと伺ってみたところ「食べ継がれる味。毎日でなくても、たまに食べたくなる味」とのことでした。
最近の稲荷寿司は、他のスイーツやパンの流行に倣い、断面や具材の彩りに力を入れたものも多いですが、見た目の華やかさに目もくれない姿勢には風格、別格を感じます。
余談になりますが、伊勢丹新宿店もその昔、呉服店だった時代は神田に本社があり、屋号を伊勢屋と言いました。明治時代になり、西欧化を進めた日本が鉄道社会となる前、江戸の総鎮守である神田明神のあった神田は一大繁華街でした。〈神田志乃多寿司〉と伊勢屋は共に外堀通り沿い、徒歩3、4分の距離にありました。当初から暖簾同士の交流があったのではと想像しますし、時代を経ても伊勢丹新宿店で志乃多のり巻きが高い支持を得ているというのは感慨深いものがあります。
志乃多の名然り、長く伝えられてきた味にはその周辺にもさまざまな物語が詰まっています。「志乃多 のり巻き」には、そんな時間の重なりが滲み出てくる味があります。
Text : ISETAN FOOD INDEX編集部