2022.10.31 UP
竹皮に包まれた円柱形で、ずしりと重い。紐をほどいて竹皮を開くと、年輪のように巻かれた薄皮の中心に餡が入っている。これが「どら焼」? しかも、1カ月のうち3日間しか買うことができない。「笹屋伊織」の「どら焼」には謎が多い。まずは誕生のいきさつについて、営業部広報課の杉岡優さんに聞いた。
「江戸時代末期に五代目当主・笹屋伊兵衛が、京都の東寺のお坊さんから、僧侶のための副食を作って欲しいと依頼を受けたのが始まりです。お寺には使われなくなった銅鑼があったため、鉄板の代わりにその銅鑼の上で焼いたことから「どら焼」と命名されました」。
仏の教えで殺生を禁じられていた僧侶は、動物性食品を摂らなかったため、卵は使用していない。竹皮で包まれているのは、竹の皮には抗菌作用があり、優れた保存の方法と考えられていたからだ。
また、竹皮ごと切れば、忙しい僧侶たちは手を汚すことなく竹皮をむきながら食べることができる。食べていると、ほのかな竹の香りがして、独特の風味を楽しむことができる。そして、巻いた竹皮は3カ所が紐で留められているが、いっぽうの先端の紐だけ長くなっている。これは持ち手で、持ち運びしやすいようにと付けられた。
どら焼(1棹) 1,728円
江戸時代後期、僧侶の副食として作られたお菓子。毎月20、21、22日だけの販売。予約も受け付ける。
1カ月に3日しか買えない理由は?
「当時、京都では、菓子を扱う店は、餅屋、饅頭屋、そして笹屋伊織のように上菓子を扱う菓子屋の3つに分かれていました。上菓子は京都御所や神社仏閣、茶道お家元に納められていて市井の人々には遠い存在だったのです。しかし、どら焼はおいしさが評判となり、弘法大師の月命日である21日の弘法市で売られるようになりました。その後も販売日が限られているのは、すべての工程が熟練の職人による手作業で、とても手間がかかるからです。特に薄皮を均一に焼き、きっちり餡を巻くのは10年以上経験を持つ職人しか担うことができません。」
(左)江戸時代から伝わる秘伝の生地を鉄板に薄く均一に伸ばす。
(右)焦げないうちに手早く、薄く均一に伸ばしていく。
熟練の職人が餡を置き、巻いていく。ちょうどよい焼け具合に仕上げなければ、特徴であるもちもちとした食感は生まれない。
作り方の基本は今でも江戸時代と変わらない。均一に生地を引くのはとても難しいそうだ。薄く、すっと手早く引かないと、端から焦げていってしまう。生地の薄さや全体の焼き加減が同じでないと、丸めたときに美しい断面にならない。そして、頃合いを見て端に餡を置き、くるくると丸め、熱々のまま竹皮に包む。すべての工程に職人が長年にわたって培ってきた経験と勘が求められる繊細な作業だ。生地を焼く鉄板は複数あるが、職人は台ごとの焼きのクセを見極めているという。さらに、その日の気温や湿度を考慮し、生地の温度も変えているという。冬は少し高め、夏は低めの温度にしてから鉄板に引く。生地の基本的な材料は変わっていないが、その時代の好みに合わせ配合などが少しずつ変わっているという。そのレシピは江戸時代の昔から秘伝だ。
江戸時代の「笹屋伊織」の店構え。暖簾に「笹」の文字。
「笹屋伊織」の創業は今から300年前、吉宗が徳川幕府の八代将軍となった享保元年(1716年)にさかのぼる。伊勢の城下町で御菓子司をしていた初代笹屋伊兵衛がその腕を見込まれ、御所の御用を仰せつかり京都に呼び寄せられた。そして、上質な素材が集まるため本当においしいものを知り尽くした人々が多いといわれる京都で、四季折々の上菓子作りに研鑽を重ね、今に至る。ちなみに上菓子とは、上等の菓子の意味ではなく、「上納菓子」「献上菓子」の意味からきている。
京都御所に出入りすることを許されていた京菓子司であった〈笹屋伊織〉には、御所にお菓子を入れて運ぶのに使われていた行器(ほかい)がある。螺鈿細工が施された見事なもので、〈笹屋伊織〉の暖簾の伝統と格式を感じさせる。
「江戸時代から御所にも上菓子を献上していた老舗というと敷居が高いイメージがあるかもしれませんが、10代目の当主は常に『老舗であるがゆえに先駆者でなければならない』と申しております。伝統を守るだけでなく、チャレンジする心を忘れてはならないということです。『どら焼』も時代の好みに合わせて配合を変えるなどといった、わずかな変化で気づかれないかもしれませんが、よりよいものを作るために日々研鑽を深めています。また、伝統の枠から少しはみ出ても、今の時代の方に和菓子に興味をもっていただけるよう、新しいお菓子の開発も行っています」
近年登場して、伊勢丹新宿店でも人気を呼んでいるのが「千客万来」。クリーミーな練乳が入った餡の中に刻んだ栗が入ったお饅頭で、開店祝いなどおめでたいときに贈って喜ばれる。個包装にある菓名の文字は、高野山の大僧正の筆。「みなさまに愛されるようにと願いを込めてつけていただきました。昔は限られた人のくちにしか入らなかった菓子ですが、広くみなさまの口に入るようにという意が含まれています。」
千客万来(10個入)1,512円
栗入りの白餡に、練乳、バター、はちみつを練り上げたクリーミーや味わい。開店祝などお祝い事にぴったり。
栗がごろんと丸ごと入った「栗蒸し羊羹」は素朴な味わいが人気。秋冬の商品だが、毎年、暖かくなってくる頃になると「もう、ないの?」と問い合わせがくる。
栗蒸羊羹(1本)1,836円。
栗そのものの味わいと本煉りの羊羹との相性が楽しめる。秋冬限定商品。
甘いものが苦手という人にも和菓子を楽しんでもらえたらという思いから誕生したのが、醤油風味の生地で黒ごま餡を包んだ「胡麻鼓」。独特の甘じょっぱさは、コーヒーや紅茶にも合う。JALの国内線ファーストクラスの茶菓に選出された特別な一品でもある。
胡麻鼓(5個入)1,134円
黒胡麻餡を醤油風味のもっちりとした生地で包んだ新感覚のお饅頭。
「お菓子を召し上がる時間は幸せなひとときですよね。「笹屋伊織」は1日の中の“幸せになる時間”を提供していきたいという気持ちでお菓子づくりに取り組んでいます。どうぞお気軽に手にとってみてください」。
撮影・岩本慶三
文・大塚明子