2023.3.31 UP
コーヒーの豆を挽くところからわたしの朝ははじまる。といってもものぐさなので、電動ミル。がー、がーっとボタンを押しては、中の粉の挽き加減をみながらすすめていく。ここでの香りがまたいい。私は荒挽きぎみ、が好き。この、ぎみ、が、大事。粗挽きではなく、粗いのもあれば、細かいのもあるという、混在した状態で、ドリップに進む。細かすぎるとどろっとしちゃう感じがするのだ。荒すぎると、すっきりすぎる気もする。ひょろりとした注ぎ口のポットからお湯をたらたらと、その挽きたてのコーヒーに注ぐ時の至福感。生きてるっ、るん♪ って思う。改めてこれを書いて、コーヒーにお湯を注ぐぐらいで、なぜだろうと考えた。そしてこう思ったのだがどうだろうか。
お湯をかける、注ぐっていうのが、なんだか、こう、自分に対して、労っているような、労を労っているような行為に思えるからじゃないだろうか。草木に水をやるように、感謝とそして元気になってねという、育てる気持ち。それから、インスタントには感じられない、豆を挽く、ペーパーに入れる、たっぷりの挽きたての粉に、お湯を慎重に注ぎ蒸らしながらすすめていくのが、自分を自分でおもてなししているような感じがするのだ。茶道的な時間。そう、コーヒーを淹れるとは、私にとってひとり茶道なのである。しきたりなし。着物もなし。パジャマのまんま。髪もボサボサだけれど、寝ぼけ眼で、がー、がー、として、ペーパーをセットして、そこに粉を入れてそして沸きたてのお湯を注ぐ。なんたる贅沢。だって、なにげに、淹れたてなのである。この1杯のために湯を沸かす。もうこれは茶道ではないか。それでいいですよね? ここで大事なのは客人がいないことである。わたし、が客人。招くのも、わたし。大事に、大事に、あなた(自分)のために注いでいく。その時、おいしく作ってやろうとか、そういう邪念がないのである。極めて無。小さな手間は人を無にする。草むしりのような。あまり考えずにいつものルーティーンとして、がー、がー、と、紙セットと、注ぎをやる。全て思考が停止している。無の境地。これがまたいいのではないだろうか。
そしてカップをその時のインスピレーションで選ぶ。楽しい。そう、茶道には茶器が大事だからね。スペインで買った思い出のカップか、前田昭博さんの白磁か、カジュアルな湘南で買ったマグか。一つ選んでその日のコーヒーを淹れる。味わう。これは、その日の味わいなのである。ひとつとして同じ味にはならない。それは毎日が違うように日々の味わいは違って美しい。毎日の日差しが違うように。気温が違うように。あ
ら、薄めだね、なんかスッキリ。になったり、あら、少し濃かったかね、それもまたよし。と、面白いのである。朝の小さな芸術作品。朝のおもてなし。この時間をわたしは大事に愛している。ここだけ、ていねいな時間なのである。
そしてお節介なわたしは、お世話になった人や、贈り物をいただいた方のお礼などに、コーヒー豆の浅煎りと深煎りを、ミルがないといけないので、電動ミルとドリップセットと一緒に送る。返事が手紙できた。
「息子がね、手動のミルを買ってきて、めんどくさくて誰も使わなくなり、ドリップもしなくなった。インスタントばかりだけど、ありがとうね。電動ミル入ってたからもう10年ぶりにやったら、おいしかった。いい時間をいただきました」。こんなお節介もたまにはいいか。あの人もいい朝してるかな、と思うと嬉しい。
<丸山珈琲>丸山珈琲のブレンド豆(100g)807円(200g)1,614円
新宿店本館地下1階 プラ ド エピスリー
ダークチョコレートのような風味と味わい、深いコクが特徴。スイーツとの相性もよく、豊かなコーヒータイムを彩る。
大宮エリー
おおみやえりー/作家・画家。
舞台やドラマ、エッセイなど幅広い分野で作品を発表。主な著書に『生きるコント』(文春文庫)。クリエイティブの学校「エリー学園」「こどもエリー学園」主宰。
文: 大宮エリー
写真:清水奈緒
スタイリスト: 野村奈央