2023.10.13 UP
お笑い芸人であり、ドラマや映画などで俳優としても活躍する矢部太郎さん。所属する吉本興業の東京本部は、新宿にある。
「伊勢丹から事務所が近いこともあって、誰かの舞台を観に行くときに食品売場で差し入れを買ったり、以前からたまに利用することはありました。でも伊勢丹について本当に興味を持つようになったのは、やっぱり〝大家さん〟と出会ってからだったと思います」
ベストセラーとなった自身初の漫画『大家さんと僕』は、新宿のはずれに部屋を借りた矢部さんと、1階で暮らす大家さんとのユニークで心温まる交流を、矢部さんの視点からフィクションで描いた作品。「ごきげんよう」と挨拶する品のいい大家さんは、伊勢丹新宿店の昔ながらの常連客だった。
「戦前の新宿を知る大家さんからすると、伊勢丹以外のビルはもはや〝知らない建物〟。卵ひとつ買うにも伊勢丹で、近所のスーパーにすら行ったことがないという方でした。僕は最初その感覚がよくわからなかったのですが、きっと大家さんにとっての伊勢丹は、戦前・戦後で様変わりした新宿をつなぐシンボルのような存在だったのだと思います」
食料品フロアに顔見知りの販売員も多かったという大家さんが、矢部さんに教えてくれた味。そのひとつが<神田志乃多寿司>だ。
「甘みと酸味が利いていて本当においしい。大家さんは甘い太巻や、歯応えのあるかんぴょう巻がお好きだったので、僕もこの『太巻詰合せ』を自分でよく買うようになりました。パッケージのフタの絵は、谷内六郎さんが描いてるんです。谷内さんは『週刊新潮』の表紙の絵が有名ですが、僕も同じ雑誌で『大家さんと僕 これから』の収録分を連載していました。うれしいつながりを感じます」
<神田志乃多寿司>太巻詰合せ(1折)1,242円
伊勢丹新宿店 本館地下1階 旨の膳
油揚げの甘みとシャリの酸味・塩加減が絶妙な伝統のいなりと、具をたっぷり巻いた太巻、シンプルで味わい深いかんぴょう巻を詰め合わせた定番の味。
寿司箱のふたには谷内六郎氏の絵、黄色い包装紙には鈴木信太郎氏のイラスト柄がプリントされている。
ほかに、伊勢丹新宿店限定の北欧菓子専門店<フィーカ>もお気に入りとか。
「ジャムを使った甘酸っぱいクッキーが好きです。北欧柄のパッケージもかわいくて、箱は文房具を入れて再利用してるんですよ」
今年90周年を迎えた伊勢丹新宿店。2作目の漫画『大家さんと僕これから』の表紙には、伊勢丹の丸い看板(店章)の上に座った大家さんと矢部さんが描かれている。
「世代の違うふたりが、ずっと変わらずここにある伊勢丹の上で、新宿の街を見下ろしながらおしゃべりをしている。そんなイメージで描きました。伊勢丹はもうずっとあのまま、未来永劫あってほしいと思う百貨店なんです。僕にとってもいつの間にか、特別な場所になっていました」
『大家さんと僕これから』(新潮社刊)
東京育ちの品よく物腰柔らかな大家さんと、その家の2階に間借りするお笑い芸人・矢部太郎さんのほっこりとした日々を描いた漫画『大家さんと僕』の続編。季節はめぐり、いよいよお別れの日が近づいて…。
タブレットとペンを持ち歩き、隙を見つけて漫画を描く。
今回の撮影は、矢部さんの地元でもある東村山の古民家、文化複合スペース「百もも才とせ」で行った。本棚にやべみつのり氏の作品も陳列されている。
「百才(ももとせ)」は縁側のある美しい古民家である。携帯する道具を広げた瞬間に書斎に早変わり。
漫画の執筆はタブレットが基本。外出先から楽屋まで、ちょっとしたスペースがあれば描けるのだそう。
こちらは絵本作家である父親・やべみつのり氏の作品。
絵本作家の“お父さん”と、幼少期の矢部さんのエピソードがユーモラスに描かれた漫画『ぼくのお父さん』(新潮社刊)。
「かんぴょうにしっかりと歯応えがあっておいしいんですよね」と、かんぴょう巻をほおばる矢部さん。
伊勢丹新宿店の前を通りかかるたび、定点観測のように写真を撮るようになった。これはその中の1枚。
写真提供:矢部太郎
サインもゆっくり、丁寧に書く姿に人柄が表れる。
芸人・漫画家
矢部太郎
1977年、東京都東村山市生まれ。1997年「カラテカ」を結成。芸人だけでなく舞台やドラマ、映画で俳優としても活躍。漫画
『大家さんと僕』(新潮社)で第22 回 手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2024年、NHK大河ドラマ『光る君へ』では主人公・まひろの従者を演じる。
写真:太田隆生
取材・文:小堀真子