その日の「ご機嫌」を選んで身に着けてほしい|<カオル>中西薫

その日の「ご機嫌」を選んで身に着けてほしい|<カオル>中西薫

ブランドやプロダクトが気になったとき、もっと深く知りたくなるのがデザインに込められた想いやデザイナー自身のこと。そんな「ブランドの人となり」に伊勢丹新宿店の装身具バイヤーが切り込む連載企画。今回は<KAORU/カオル>のデザイナーの中西薫さん。自由すぎるのは好まない、はみ出しながらも馴染ませる。<カオル>のジュエリーには、やはり京都らしい美意識が宿っていました。

頭の中のデザイン画を手を動かしてカタチにしていく

頭の中のデザイン画を手を動かしてカタチにしていく

バイヤー:薫さんはキャリアのスタートがジュエリーデザイナーだったのでしょうか。それともデザイナーになる前に別のお仕事をされていたのでしょうか。

中西:社会人一年目は建築の会社で働いていました。そこからIT関連の会社に移ったのですが、その頃から彫金の学校に通うようになったんです。

バイヤー:ジュエリーとは関係のないお仕事をしながらも彫金の学校に通われたということは、ジュエリーデザイナーへの興味や関心はずっとお持ちだったんですか。

中西:建築家も夢だったのですが短大時代に美術科で受けた彫金の授業がすごく楽しかったこともあり、きちんと彫金を学びたいという思いがありました。そうして学校に通ったことをきっかけに、友達と一緒に手作りのアクセサリーを販売するようになりました。

バイヤー:ご友人との手作りアクセサリーがジュエリーデザイナーとしての出発点だったんですね。当時の反応はどうだったのですか。

中西:「ふたりでデザインしたアクセサリー」という打ち出しで、実際にはそれぞれが個別に考えて作っていたのですが、ショップや卸先に見せると採用されるのがことごとく友人が考えたアクセサリーばかりで。

バイヤー:薫さんのデザインが受け入れられなかった‥?

中西:そうなんです。それで私としても消化不良が続いていたときに京都でアクセサリーのポップアップが開催されることを知って、そこにスワトウ刺繍やお花をモチーフに私がデザインしたアクセサリーを持っていったんです。そしたら「おもしろい!」って気に入ってもらえて。それをきっかけに京都で<カオル>をスタートさせました。

頭の中のデザイン画を手を動かしてカタチにしていく

バイヤー:スワトウ刺繍をモチーフにした透かしのジュエリーは<カオル>の象徴的なデザインだと感じていますが、彫金を学んだとはいえすぐに制作できるものなのでしょうか。

中西:最初はできないことだらけですよ。私が学んだのはデザインではなく、制作のための技術でした。わからないことは熟練の職人さんにアドバイスを求めて、とにかく自分の手を動かし続けていました。自分が思うままに手を動かして制作しているので<カオル>にはスタンダードがないんです。

バイヤー:頭の中でデザイン画を描いて、それを手を動かすことによって具現化していくイメージでしょうか。

中西:そんな感じに近いかもしれないので、もしかしたら他のジュエリーデザイナーさんとは制作工程が違うかもしれないですね。自分で思い描いたイメージ、デザインをもとに最初から最後まで一人で作業することもあります。

そのときに作りたいと思うジュエリーは“気分”x“挑戦”

バイヤー:薫さんがジュエリーデザインで大切にしていることはなんでしょうか。

中西:そのときの気分です。あとは自分が挑戦してみたい新しい技術とか。そのふたつの掛け合わせですね。

バイヤー:<カオル>はコレクションのラインナップの多さが特徴のひとつでもありますが、そこには薫さんの気分が掛け算されていたんですね。

中西:一点物もありますし、型はあっても組み合わせを変えるだけで表情は別物になりますからね。一度完成したものでもマイナーチェンジもすごく多いです。そのときの気分によって再度手を加えたくなるんです。

バイヤー:「気分によって」というとすごく流動的にも感じますが、そのときに作りたいジュエリーの方向性はどのようにして決まることが多いですか。

中西:私は旅行が好きなので、いろいろな場所を訪れてそのときに体験した刺激などによって挑戦してみたいジュエリー、作ってみたいジュエリーが決まることが多いかもしれないです。

バイヤー:印象に残っているあの旅先、あの場所のようなものはありますか。

頭の中のデザイン画を手を動かしてカタチにしていく

中西:まさに絶賛大ブームなのがビル・ベンスリーという建築家の世界観です。もとから大好きな建築家だったのですが、あるホテルに泊まったらとても居心地が良くて、実はその建物もビル・ベンスリーが手がけていたなんてこともありました。事前に何も知らなくても自然と惹かれる建造物ってあるんですよね。私は京都の高台寺に<カオル>の旗艦店(コハクカイラシ)を建てるときに建築家の方に依頼したのが「ずっと前からそこに存在していたかのような建物にしてほしい」ということでした。この先時代が変わっていっても建物だけは景観に溶け込んで残っていくのが理想なんです。

バイヤー:コハクカイラシを建てたときの考え方は<カオル>のジュエリーに通ずる部分もあるのでしょうか。

中西:一過性の流行として身に着けたくなるものではなくて、ずっと魅力が変わらないジュエリーを作りたいという思いはあります。私にとってビル・ベンスリーの建造物というのはオンリーワンなんです。そういう存在感はすごく大切だと思っているので、<カオル>も根本的な価値が変わらないものでありたいです。

バイヤー:<カオル>はさまざまなテイストやデザインが存在しますが、どれもが<カオル>らしいと感じます。どこにもカテゴライズされないような唯一無二の魅力があるので、ブランドをミックスさせないで<カオル>だけでジュエリーコーディネートを楽しまれているお客さまも多い印象です。

正解のバランスが見つからなければ世には出さない

バイヤー:<カオル>のジュエリーは繊細といわれればそう思いますし、ダイナミックといわれたらそう感じることもできます。真逆の概念が同居する不思議さにも惹かれます。

正解のバランスが見つからなければ世には出さない

中西:<カオル>は大英博物館に展示されたこともあるのですが、そのときに「大胆で繊細」という声をいただいたんです。英国人からすると浮世絵にも通じるものがあると評価していただいて、それはうれしかったですね。

バイヤー:<カオル>のモチーフで代表的なのがレースと草花ですが、レースは模様に規則性があって、自然の草花は同じように見えて色やカタチは不規則で、ここでも真逆のような創造物がアイコンになっているところもおもしろみがあると感じています。

中西:レースは規則性はあるかもしれませんがジュエリーに落とし込むときはかなりデフォルメしています。モチーフの要素として重要な部分を残しておけば、あとはどれだけ前衛的でもいいと思っています。

バイヤー:お花のリングもパーツをひとつずつ土台に積み重ねて完成させているそうですが、あれは<カオル>のオリジナルの技法ですか。

正解のバランスが見つからなければ世には出さない

中西:オリジナルだと思います。野に咲く花は風に揺らめいたりするので、それを表現したかったんです。花として形ができあがっているパーツと土台を組み合わせても人工的にしかならないので、花びらのパーツをまるで花を生けるかのようにひとつひとつ手で取り付けているんです。なので同じ工程を経ていても、リングをふたつ並べたら微妙に表情は異なる場合もあると思います。

バイヤー:とても大変そうではありますが、アトリエでスタッフさんと一緒に細かな作業をするのは楽しそうです。

中西:いや、苦しいですよ(笑)。でも自分では納得できていないのに「これでいいか」で終わらせたジュエリーは完成しているようでも明らかに諦めたことがわかるんです。なので制作していて気持ちがのらない日は中断して、翌日に仕切り直しです。その繰り返しですね。「必ず正解のバランスがあるはずだから、それを見つけよう」とスタッフにもよく言っています。

バイヤー:見つからない場合もありますか?

正解のバランスが見つからなければ世には出さない

中西:すぐには見つからない場合ももちろんありますが、その場合は見つかるまで試行錯誤です。アイデアとしては優れていると思っていても納得のいく美しいバランスにならなければ、そのシーズンに商品化することは見送ります。例えば人気のコレクションのひとつで「ブレイド」という手で編んでいくチェーンネックレスは正解とおもえるバランスがなかなか見つからず、何度も何度もトライ&エラーを繰り返し、世に出すまでに2年はかかりました。

バイヤー:それだけ緻密なバランスと手作業にこだわりながら、新作を次々に発表されているのが<カオル>のすごいところです。一方でブランドファンからは復活を望むコレクションも多いとうかがいます。

中西:とてもうれしいお声です。旧コレクションを復活させるべきかというのはスタッフともよく話し合っています。ただ復活させるかどうかというのも私の感覚であったり、気分があるんです。今だな、いや今じゃないなと。お客さまには「いつか復活のときを待っていてください」とお伝えしたいですし、突然復活するときもあるかもしれないので、ぜひ店頭で運命的な出会いを楽しみにしていただけたらうれしい(笑)。

バイヤー:デザイナーである薫さんを中心に、チームの仲が良いというのも私の<カオル>に対する印象です。スタッフさんとのコミュケーションはすごく大切にされていますよね。「チームの結束力」が高い。

中西:スタッフの意見も参考にしないと独りよがりのブランドになりますから。デザインに関しては私の独断でもいいかもしれませんが、最終的にはデザイナーの手を離れるのでお客さまが身に着けたくなるジュエリーであるかどうかはスタッフに客観的に判断してもらっています。

<カオル>のショップには「ご機嫌」が並んでいる

バイヤー:伊勢丹新宿店のアクセサリーを代表するブランドといえば<カオル>というぐらいお付き合いは長く、ショップとしてはもう15年ぐらいになりますよね。ブランドの拠点は京都ですが、東京の伊勢丹新宿店からオファーがあったときはどのような心境でしたか。

<カオル>のショップには「ご機嫌」が並んでいる

中西:最初に働いた会社は東京だったので伊勢丹新宿店にはよく行っていました。仕事帰りにちょっと立ち寄るという方は多いと思いますが私がまさにそうで、キラキラとしたお店に足を踏み入れるだけでその日の疲れがすべて飛んでいくような感覚でした。目的がなくても訪れたくなる百貨店という場所が大好きだったので、伊勢丹新宿店から声をかけていただけたのはうれしかったですね。

バイヤー:無意識に惹かれる建造物、周辺の景色に溶け込む京都の旗艦店、目的がなくても足を運びたくなる百貨店。お話を聞いていると共通しているのは「そこに存在しているだけで得られる心地よさ」ですよね。それはまさに<カオル>のジュエリーの魅力そのままだと思います。京都の美意識と言えばいいのでしょうか。

中西:私は自由すぎるのがあまり好きではなくて、枠がある中でどこまで自由にできるかを考える方がやり甲斐があります。京都は景観を壊すことはよしとされないので、新たな建物にしても決して条件は自由ではないです。ですが制約があるからこそギリギリまではみ出ることに挑戦できますし、その方が楽しいと思えるタイプです。

バイヤー:<カオル>のコレクションが幅広いのも「これを作ったからもうひとつはみ出して」の繰り返しの結果なのかもしれないですね。

<カオル>のショップには「ご機嫌」が並んでいる

中西:私は「これはこういうもの」という決めつけというか固定概念に縛られたくなくて、<カオル>のクリエーションは自由でありたいといつも思っていますがさらにもっともっと好きにやっていいんじゃないのかなって考えています。他にはない特別なダイヤモンドを使うようになったのもその表れで、もっと希少な石を選ぶこともあるかもしれないです。自由だと思っていた範囲が実はまだまだ狭かったことに気づいたんです。

バイヤー:それに気づいたきっかけはあるのでしょうか。

中西:それは伊勢丹新宿店の皆さんとお話しすることで気づかされたこともありますし、お客さまとの会話もそうです。ジュエリーを制作している側よりも身に着けて楽しんでいるお客さまの発想の方が自由だったんです。最近のコレクションではかなりグレードの高い石も選んでいて、これまでの<カオル>とは少し異なることもあるかもしれないですが、それはそれで良いって思っています。

バイヤー:コレクションが個性的になっていけば、お客さまにとっても<カオル>を身に着ける楽しさはますます広がりそうですね。

中西:私たちはあらゆる多様なお客さまの「ご自身にとっての<カオル>の楽しみ方」を見つけにショップを訪れてくださったらうれしいですし、楽しいです。伊勢丹新宿店に出店するようになってからは男性のお客さまも増えましたよ。

バイヤー:三越伊勢丹の<カオル>のファンといえば年齢も幅広く、ファッション感も多様で、本当に多くの方から愛されているブランドです。

<カオル>のショップには「ご機嫌」が並んでいる

中西:私は<カオル>の店頭にはジュエリーと一緒に「ご機嫌」を並べていると思っているんです。元気になる、やる気が出る、笑顔になる、自分らしさがアップする。その日にふさわしい「ご機嫌」をお客さまに選んでほしいです。ジュエリーは身に着けることで初めて完成するもので、ジュエリーが主役になることはないんです。

バイヤー:「ご機嫌」を並べているってすごく素敵です!私は薫さんとお話しするといつもご機嫌になれますが、やはり<カオル>のジュエリーは薫さんの分身そのものですね(笑)。

中西:そう言ってもらえるとこちらもうれしいです。これからも三越伊勢丹のお客さまのためにも「このジュエリーを身に着けたらご機嫌になっていただけるか」という「ご機嫌チェック」にしっかりと目を光らせて頑張って制作していきます(笑)。

中西薫

中西薫
京都の街で生まれ育ち、造形美に慣れ親しんだ原体験から、「自分が本当に身につけたいジュエリーを自分でつくりたい」と始めた彫金に惹かれ、ジュエリーの道に。
1999年にブランドを設立し、ほどなくして、単身、パリ・ロンドン・ニューヨークの展示会に参加。大きな反響と多くの人の支えにより、大英博物館の企画展に唯一の日本ジュエリーブランドとして紹介されるまでに至る。
2010年には、自身の世界観を表現するため、建物全てをプロデュースした旗艦店を高台寺のふもとにオープン。
「私はアーティストではなく、デザイナー。デザイナーとしていつも挑戦していたい。」
この強い想いをもとに、
「すべては、身につける前から美しい」ジュエリーを提案しつづけている。